開催レポート
読谷村のうたの記憶を探す[その1]
概要
8月3日(土)、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「読谷村のうたの記憶を探す」の公開講座が開催されました。うたの道を辿り、歌声の中に往時の人々の息吹を感じとる――。講座の第1部では、長浜眞勇さんからお話を伺いながら、「マースケーイ歌」の背景をひとつひとつ紐解いていきました。編集者でライターの川口美保さんに開催レポートをご執筆いただきましたので、その前半部分を公開いたします。
レポート(前半)
文/川口美保
「マースケーイ(塩替い)歌」の道を辿って
8月3日、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「うたの記憶を紡ぎ出す」の第一回目となる「読谷村のうたの記憶を探す」が開催された。音楽家・松田美緒さんが、この1年をかけて、沖縄のそれぞれの地域に残る歌を掘り起こしていくプロジェクトの第一弾が読谷村で、松田さんは7月末に沖縄入りし、読谷村長浜地区に残る唄「マースケーイ(塩替い)歌」の記憶を辿る、その最終日だった。
この「マースケーイ歌」は、かつて長浜の娘たちが塩田のあった泡瀬の村へ農作物と塩を交換しに行く道行きを歌った歌だった。松田さんは、この歌が生まれた読谷村に滞在し、時間をかけて、歌に描かれた長浜から泡瀬までの道を現在の地図と照らし合わせながら歩いていったという。こうして実際の道を歩くことは、この歌がどういう風景の中、どういう想いで歌われていったのか、自らの身体の中で感じとるための、歌う以前の大切な行為としてある。
松田さんはその体験を身体に刻んだ上で、この日に臨んだ。この日、松田さんが話を伺ったのは、読谷村歴史資料館元館長の長浜眞勇さん。いくつもの沖縄の民俗芸能についての文献を書き残す研究者でもありながら、琉球古典音楽野村流音楽協会の会長として長年古典音楽に携わっている方だ。そんな長浜さんに「マースケーイ歌」が生まれた背景を伺いながら、歌のことをひとつひとつ紐解いていくという貴重な時間だった。
歌声の中から聴こえてくるもの
長浜さんは昭和21年生まれ。長浜さんの父親もまた、地域の歴史、民俗芸能に精通していた方で、長浜さんは父を通して、「マースケーイ歌」を知ったという。松田さんは事前に全国の古い民謡の音源が収集されている秋田の民族芸能資料センターからこの「マースケーイ歌」の音源を取り寄せ、何度も聴き込んでいた。その音源こそ、長浜さんの父、長浜真一さんの73歳の時に残された歌で、長浜さんにその音源を聴いていただくと、「ああ、懐かしいですね。久しぶりに父にお会いした気持ちです」と嬉しそうに話をしてくれた。
「この歌は、村遊びなどで歌う歌ではなく、かしこまらずに楽しむ唄だと思います。歌うことによって、塩の道、文化、長浜の人たちの文化圏、生活圏の広がりが見えてきますね」と長浜さん。
読谷から泡瀬まで、その距離を当時の人々は歩いて移動していたことに想いを馳せ、長浜さんは、「当時の人々の生活の有り様というのは、なんなくそういう距離もこなすエネルギーを持っていたのだと思います」と話し、「こういう歌が連綿と伝えられてきたことに人々の想いも感じられますし、文化というのは交流することによって、生成、発展していくということがわかります」と続けた。
こうやって長浜さんから語られる「マースケーイ歌」を聞き取り、そして、歌詞についてひとつひとつ紐解いていった後には、長浜さんが実際に「マースケーイ歌」を歌ってくれた。地域で村人が日頃歌っていた時のように、と、「意識的に島に戻ったような雰囲気で歌います」と、その味わい深い歌声を聴かせてくれる。その歌声に当時の情景が立体的に立ち上がってきて、記録された歌詞を読むだけでは到底辿り着けない、歌い継ぐ人の歌声が持つ豊かさが、なぜ「マースケーイ歌」が生まれたのか、その時歌われていた時の風景や状況と「いま」をつなげてくれたような瞬間が訪れた。
「歌がリアルになりました。新たに昔の歌を発掘していま歌うということは、それ以上に、なぜ歌うのかということを発掘する、もう一度呼び覚ますということが大事だと思っているんです。なぜ歌うのかということを自分も少しずつ感じてこれています」と、松田さんは深い感謝を述べた。
「アシビトゥイケー」という文化交流が教えてくれたこと
また、長浜さんは「文化の交流」という話から、沖縄の中部の各村に「アシビトゥイケー」という民俗芸能にかかわる慣習があったことを教えてくれた。200人、300人という規模の人たちが、他の村まで行き、相手の村遊びの舞台で自分の村の芸能を披露し、酒やごちそうの接待を受ける。逆に自分の村に迎え入れる時は、各家ごとから少しずつお金を徴収し、また、薪や食料などを出し合い、交流相手の村を歓迎する。こうして芸能を通して交流を深めていたという話だった。
「この頃は芸能というのは村の宝なんです。精神的な支柱なんです。その地域で保持している芸能は、勝手に他人に見せてはいけなかった。だけどアシビトゥイケーはそれを友好的にやっていたんです」
村同士が行っていたこの豊かな文化交流のことを知った時、長浜さんは芸能が持つ力にあらためて気づかされたという。
「芸能を通して人々は仲良くなれるという信念を持ちました。文化は人を優しくするなあ、芸能は人を呼ぶなあ、人々が寄り合えば歌が生まれる、踊りが創作される。芸能というのは素晴らしいということをアシビトゥイケーから多いに学びました」
沖縄の素晴らしい文化の歴史を知ることで、いま、自分が芸能に関わることの意味を深めていく。長浜さんは、芸能に関わらず、自分の生きる姿勢として、「いまをよりよくするために過去を振り返る、いまをよりよくして未来にバトンタッチしていく。ものをつくりあげていく上で、つねに現在過去未来という時間軸で考えていくようにしています」と話してくれた。
長浜さんのこの姿勢は、このプロジェクトがこれから沖縄のうたの記憶を探していく際に、プロジェクトとしてもとても大切な指針となる言葉だと思えた。
(その2に続く)
インフォメーション
アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「読谷村のうたの記憶を探す」
公開講座
2019年8月3日(土) 於:読谷村史編纂室
第1部 10:30〜12:30 「長浜地区の歌 マースケーイ歌を聴く」
講師 長浜眞勇(琉球古典音楽家)
聞き手 松田美緒(歌手)
第2部 13:30〜15:00 「『出来事』としての歌について考える」
講師 川瀬慈(国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授)
聞き手 松田美緒(歌手)