エッセイ①
音楽紙芝居という「入口」
概要
「いつも、想像の余地を残して、観客や読者に委ねたい。その先の世界へ足を踏み入れるための「入口」になれたら」――独特な優しいタッチの絵と語り、そしてピアノの演奏によって様々な物語を描く「音楽紙芝居」の作者「音の台所」こと、茂木淳子さん。
2012年の初演以降、各地で上演を重ねている音楽紙芝居「月夜のナイチンゲール」をはじめ、作曲家・春畑セロリさんとの音楽と絵のコラボレーション「ゼツメツキグシュノオト」(楽譜・CD・絵本)や、最新作の絵本「くもこちゃん」、絵ハガキ「市場シリーズ」など、ブルグミュラーの音楽や沖縄の題材をもとに、小さなものたちの世界を表情豊かに描き出します。
アンデルセンの童話から、組踊「執心鐘入」の原作ともなった「安珍清姫」の物語、そして、古い琉球の言葉「くもこ」から紡ぎ出されるオリジナルのストーリーまで、その創作の背景についてご執筆いただきました。
音楽紙芝居という「入口」
文/音の台所・茂木淳子
画像でつづる物語に音楽がついている、それほど珍しいことではありません。ただ、その音楽がブルクミュラーのピアノ練習曲だったことで、すこし話題になりました。ブルクミュラーはピアノ学習の定番の練習曲で、習ったことのある人には懐かしく、想い出をさそいます。そんなピアノ曲とアンデルセンの童話『ナイチンゲール』を組み合わせて9年前に初めてつくった音楽紙芝居が、「月夜のナイチンゲール」です。
その後、童話とブルクミュラーを組み合わせた20分程度の作品を5つほど、おとな向けにバロックから印象派まで様々な音楽を組み合わせた作品もいくつか制作しました。
構成とイラストと語りを私が、ピアノを川津直子さんが担当し、一緒に練習をしながら音楽の使い方を相談し、つくり込みます。
上演形態はスクリーンにスライドを投影するかたちで進めます。紙芝居ですので、アニメーションのように画面の中で登場人物は動きません。「動き」はどうぞみなさんの想像力で補ってください、という観客まかせのところがあります。でも実際、音楽の力によって風を感じたり、夜空の星がきらめいたり、心の動きが伝わったりすることがあると思うのです。
8年前に東京から沖縄へ移住し、2015年に「きよひめ」という短い作品をつくりました。琉球時代から今日まで上演されている組踊「執心鐘入」の元になったお話です。長い時間をかけ、地域をまたいで受け継がれている作品にはどんな秘密があるのか興味がわきました。
「安珍清姫」は平安時代から語り継がれる、現在の和歌山県にある道成寺にまつわるお話です。
清姫は紀伊の国の山のなかで育ちますが、そこは熊野詣のために京の貴人たちが通りかかるような立地。いつしか心に芽ばえた憧れが大きく膨らんだとしても不思議ではありません。結婚相手を自由に選べるような時代ではないのです。旅の僧安珍にいだいた恋心は、娘を思いがけない行動に走らせます。家を飛び出し、安珍を追いかける。もう後戻りはできない。やがて蛇へと姿を変えて川を渡り、道成寺の鐘に身を隠す安珍を見つけ、火を噴いて鐘ごと焼き尽くします。
安珍を追いかける場面にブルクミュラーの「タランテラ」を使いました。その疾走感や緊迫感がピッタリでした。最後にすべてを失った清姫はブルクミュラー18の練習曲の「ないしょ話」という、優しい爽やかな音楽に見送られて退場します。
哀しさや苦しさを、言葉で表現するよりも、音楽だけで表現をする。音楽にすべてをまかせる方が、その哀しさや苦しさが一層胸に染み込むのではないか、音楽紙芝居をしていてたびたび思います。
終演後に、「日本の昔話と西洋の音楽がどうしてこんなに合うんでしょう? 不思議です」という声をよく聞きます。洋の東西なんて関係なくて、音楽そのものが清姫の心に寄り添っていたのだと思います。「切なくて、キュンとしました」と言いに来てくださった方もいらっしゃいました。お話の世界に入り込んでいたのかな、と思える嬉しい反応です。
(「きよひめ」YouTube)
そして、沖縄を舞台にしたオリジナルの音楽紙芝居「くもこちゃん」を2018年につくりました。音楽は沖縄在住24年のピアニスト、サトウユウ子さんによるインプロヴィゼーションです。沖縄音楽の音階をそれとなく織り込んだ「くもこちゃんのテーマ」が、なんとも愛らしい。サトウさんの音楽は説明をしすぎません。テキストをよく読み込んで、その世界観や空間の揺らぎをピアノの響きにするのです。自分の絵と文に、誰かが音楽をつけて並走してくれる喜びを知りました。
「くもこ」という言葉に出会ったのは、宇田智子さんの『那覇の市場で古本屋〜ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』(ボーダーインク)の中の「くもこ」というエッセイでした。宇田さんは自分の古書店で扱った古い雑誌『新沖縄文学』 第31号(沖縄タイムス社)に仲宗根政善(言語学者、1907〜1995)の随想「おもろ語の『くもこ』について」を見つけ、そこから「くもこ」に想いをめぐらせてエッセイにしました。
「くもこ」は漢字で書くと「雲子」、沖縄の古語で「美しいもの、貴重なもの」を意味する言葉です。今はもう使われなくなった言葉。仲宗根政善、宇田智子とつながれたバトンが目の前に置かれたような気がして、音楽紙芝居「くもこちゃん」の着想が湧き、お話が浮かび、絵を描きました。
主人公のくもこちゃんは、首里や石垣島やヤンバルなどをめぐりながらちょっとした体験を重ね、最後に虹やカタブイ(にわか雨)を自分の体に映すことで、多様な美しさを受けとめるキャンバスになります。
失われた言葉としての「雲子」に思いを馳せる人もいれば、美しさを雲にたとえた琉球の人々の感性は今も受け継がれていると実感する人もいらっしゃいました。「くもこちゃんが空からもっと沖縄をあちこち俯瞰したら面白いね」と言われたときには、みなさんの頭のなかでくもこちゃんはもう飛び始めているのだと思いました。すでに、次のバトンはだれかの手に渡っているのかもしれません。
いつも、想像の余地を残して、観客や読者に委ねたいと考えて作品をつくります。その先の世界へ足を踏み入れるための「入口」になれたらと思っています。
その後「くもこちゃん」は絵本になりました。短い上演時間ではなかなか説明できないこともあります。沖縄の言葉、自然、そして戦争で失われた建物や文化など、絵本の巻末に解説ページ「くもこ辞典」を設けることで、少し補足することができました。絵本を読むことで更に広がりを持てると良いと思います。
人の移動がむずかしい今、これまでのように音楽紙芝居上演のためにあちこち出掛けられなくなりましたが、絵本はどこまでも飛んでいけます。くもこちゃんに遠くまで飛んで行ってほしい。空はつながっていますから。
(絵本『くもこちゃん』の出版情報は、こちらから)